未完成な街をどう立て直すか 2

次に江東区の将来について考えてみましょう。


つまり、江東区の南半分をどういうふうにしたらよいのだろうかということです。


その基本的な土地利用計画はまだ十分に検討されていません。


江東区の南半分は戦後急速に埋め立てられたところです。


昔の江東区民は本来東西線から北に住んでいました。


東西線より南に住む人はほとんどいませんでした。


そこに戦後いろいろな新住民が住みついたのです。


創価学会 仏壇を販売する仏具屋さんもあります。


それでもまだ江東区の南半分は、成熟した市街地として認識できるほど人は住んでいない、未完成な市街地です。


支離滅裂で、どういう街にしていいかわからない現在の状況から早く抜け出す必要があります。


住商の混在型住宅地、流通基地、あるいは新しい人に住んでもらう洒落た臨海型の住宅地・・・


そして公園用地、オフィス街をきちんと配置した再開発計画を立ててゆかないと、荒廃したカサカサの街になってしまいます。


江東区の南半分の中で重要な場所の一つが新木場です。


ここからは京葉線で東京駅に行けます。


JR線が13号地をへて横浜に行く分岐点ですし、有楽町線もここに乗り入れています。

未完成な街をどう立て直すか

東京港について述べるとすれば、まず13号地を中心とした臨海副都心計画が取り上げられなければなりません。


臨海副都心は13号埋立地と10号地、それにお台場地区を含む約450ヘクタールの地区です。


そのうち約半分の230ヘクタールが道路・公園・プロムナード等公共施設用地に割り当てられます。


この公園で子どもたちがサッカー スパイクをはいてサッカーを楽しむのです。


宅地はしたがって210ヘクタール程度であり、そこに就業人口11万人、夜間人口6万人を収容します。


建物群の延床面積は、業務系が250ヘクタール、住宅系は205ヘクタール、商業系は130ヘクタールです。


総事業費は4兆円をこえます。


この副都心はまた東京テレポートタウンとも呼ばれています。


つまり国際的な情報の受発信基地としてここを位置付け、それに必要なテレコムセンターやコンベンション施設を配置します。


その他国際金融機能、マスメディア業務、ソフトウェア産業基地、ファッションデザインセンター、ホテル機能等、多様な都市中枢機能をここに配置しようとしています。


まさに世界の新しい中心地区としてこの副都心を位置付け、その前ぶれにここで世界都市博覧会を数年後に開催する計画が進められています。


リクリエーション空間としての期待 2

舞浜のホテル、ディズニーランドというレジャー系の施設が集中しているところでは、広域的な海洋レジャー基地ができるかできないかという議論が当然おこってきます。


この話題は東京湾の水域をどう使い分けるかという話題にかかわってきます。


国際的な海洋レジャー基地という提案は東京港と千葉港との競合の問題につきあたり、大変その実現は難しいでしょう。


東京がもう少しその海域をレジャー系に使いやすくするようになれば、その可能性は強まってきます。


そのような海域が東京湾のなかにかなり広く確保されなければ、結果的にはプレジャーボートやモーターボートは湘南や3浦半島に集中することになるでしょう。


高速の船を使っても東京から東京湾を出るのに1時間以上かかるのです。


ヨットなどは速度が遅いからもっと時間がかかります。


本格的な海洋レジャー基地は東京湾の外のほうが、この時間、距離を考えると良いのかもしれません。

リクリエーション空間としての期待

今後の浦安市の課題としては、その海岸線をリクリエーション空間として活用してゆくということが挙げられます。


埋立地をリクリエーション、レジャー型の土地利用として使ってゆこうという動きは、3井不動産と京成電鉄によって始められました。


この両者によってオリエンタルランドという会社ができ、ディズニーランドが誘致されました。


そしてそれに付随するようにしていくつかのホテルが建てられてきました。


次に考えられている議論は、市の立場からみても、市の海岸線の前面に大規模で高級なマリーナがつくれないかということです。


この話は企業からも出ているし、国のような公共団体からも出てきています。


浦安市の政策がその点についてどのような判断をするかが注目されています。


浦安市の埋立地とその水際線を考えるとき、リクリエーション・レジャー機能と、住宅機能および鉄鋼団地というこれまでの区分のなかで、鉄鋼団地は今は次第に整理されています。


市民の憩いの場になるようなリクリエーション空間・・・


つまり自然を取り込んで親水空間をどうやってつくってゆくかという土地利用の転換が現在市役所の大きな関心事です。

水の上に浮んだこわれやすいお盆

浦安市は埋立地ですから、水の上に浮んだ壊れやすいお盆のような街だというのがその特徴です。


雨が降れば機械的に排水しないかぎり、水を処理することはできません。


うっかりすると、夏の集中豪雨のときには床の上に水が上がってきます。


雨に降られたときに、マンホールをあけるとすぐ水が見えます。


常に水との闘いをしているのが浦安市です。


いろいろな排水設備をつくり、それらをきちんと管理してゆくシステムができていないと、いざという時には使い物になりません。


この水に弱い埋立地は当然のことながら、地層が液状化によって緩み、建物が倒れる危険性をかかえています。


高価な素晴らしい住宅であっても、ここに建てられていれば間違いなく液状化の危険にさらされます。


その被害に対する対応をどうやっておくかは、行政としては考えておかざるを得ないでしょう。


埋立地に住むときに生ずるこのようなリスクを常に覚悟し、それに対する安全対策を講じ、次々と浦安に入ってくる市民が楽しく生活できる公共基盤を、市民の裏方としてつくりあげてゆくこと・・・


これが、地方自治体としての浦安市の最大の課題となってくるでしょう。

都市づくりを考える 3

一つのグループは、2回目、3回目と住宅を住み替えてきた人達で、買い替えグループといってもよいでしょう。


この人達は住宅ローンもそう苦しんではいません。


ただ年齢はかなり高く40代の人達が多いです。


もう一つのグループは30代そこそこの若いカップルの人達です。


彼らはだいたいが良い企業に勤めています。


住宅取得価格は4000万円くらいで、一番安い住宅を取得しているが、それでもローンのために奥さんが働く共稼ぎ家庭です。


子供を保育園に預ける世代が再び増えてきています。


どういう人達が入ってくるのか、その人達は何をしている人なのか、つまりそこに入ってくる人達の生活像がわからないと、自治体経営の街づくり計画はしっかりしたものになりません。


平成2年には京葉線が東京駅に入り、東京駅から12分弱で住宅地の玄関口に到達しました。


そうなれば住宅の販売価格はさらに上がってきます。


それによってそこに住む人達もこれまでと変わってきます。


このような動向を推し測りながら、浦安市はいろいろな公共施設を用意しているのが現状です。


まさに試行錯誤で考えているといったところでしょう。

都市づくりを考える 2

奥さんと子供も2人という庶民型の健全な家庭が浦安市では昭和52年頃から年間1万人くらい増え続けてきています。


浦安市に入ってきた初期の人達はだいたい安いマンションを買いました。


生活力がある人は一戸建を買っています。


そして子供ができます。


そうなると市は保育園をつくらなければなりません。


幼稚園の需要が非常に多かったそうです。


したがって生活圏ごとに一幼稚園、一小学校をペアでつくることをしばらく一生懸命に努力をしました。


このようにして定住した人達もその後10年たって、現在は大企業中堅企業の部長クラスになってきています。


これらの市民が今の浦安市の財政を豊かにさせています。


一方で、JRの京葉新線が開通し、これに引き続いて第二期埋立地の一部に住都公団がマリーナイースト21という住宅団地を分譲し始めました。


この購売競争率は大変高く話題になりました。


この団地入居者については、まだはっきりとした調査結果は出ていませんが、2つのタイプの人達がそこに住み始めているように考えられます。

都市づくりを考える

浦安市は総武線の沿線では飛び抜けて海べりに出ており、陸の孤島でした。


その点からも市街化が遅れていたために、千葉県側の京葉工業地帯の埋め立ては市川市から以東でまず行われました。


江戸川から東が工業圏に変わり浦安はその動向に取り残されました。


都市基盤の整備も遅れてしまったことになります。


しかし、遅れて埋立事業が始まったことのために、先進地域が犯した都市づくりのあやまちをかなり回避することができました。


この時間の遅れの問に、自治体としての浦安市が成長し、まわりの状況を学習し、ある程度の見識をもって埋立地の土地利用について発言できるようになったのではないかと思います。


実際に住宅地開発について、本気で自治体がその指導や助成に入り込んでいる数少ない都市の一つが浦安市ではないかと思います。


民間住宅企業とのつきあいのなかで出来あがってきたノウハウは大変な蓄積になってきています。


住民のタイプの変化にいかに対応するかこの住宅地の将来動向を考えてゆく際に浦安市に特徴的な課題が一つあります。


それは、住民が入居時期によって比較的タイプのはっきりしたグループを形成しており、公共施設をいかに十分に用意していくかということです。


浦安市はもともと埋立地で辺ぴなところにあったために、一番始めにこの埋立地の住宅地に入ってきた住民は、中産階級でもやや下のグループでした。


大手の企業の人よりも、中小企業に勤めている人達もかなりいます。


しかし将来性は有望です。

「沖縄の心」

今回は「沖縄の心」を感じさせる、義理人情に生きたねずみ小僧・運玉義留のお話です。


沖縄ツアーに行ったときに添乗員さんに聞きました。


義留はある時、王子家に予告をして、金のまくらをちょうだいすると、投げ文をしました。


屋敷の内外はびっしり警護の士で、ありのはい出るすきもありませんでした。


しかし義留はすでに王子の寝所に忍び入っていたのです。


王子が黄金のまくらをしているその耳に、ぽとりと水滴をたらしました。


王子がはっと思って頭を上げたとたんまくらは義留の手に抱きかかえられていました。


やっとのことで運玉森に帰りましたが、追求の手はものすごく張りめぐらされて、義留は森を出て龍潭まできましたが、そこからどこにもいけない程、厳重な検問が行なわれていました。


義留はせっばつまって、竹を口にくわえて龍潭に沈みました。


そこへ警護の長の士がきて、


「これ程探しても網にかからないなんて、残念!」


と手にしていた槍を、壽留のかくれたところへぶすっと突きました。


槍は嚢留の心臓を一突きしていました。


・・・運玉義留は沖縄の義賊として、為政者への抵抗を貫いた「沖縄の心」の男だったのです。


「一流」への道と壁

女性が「私は方向オンチなの」などというとき、ある種の「甘え」がつきまとうように思います。


また、雑学のたぐいについても、言外に「興味のないことは、知らなくてもいいんだ」と決めてかかっているというか、ある種の「他人軽視」がつきまとうように思うのです。


そうした傾向への異議申し立ての気分もこめて、私はひそかに「モノ知らず度」「方向オンチ度」といったモノサシを用意し、ビジネスウーマンの知的特性を観察することもあります。


派遣 千葉で働くビジネスウーマン、あるいはキャリアウーマンにはお叱りを受けそうな話をあえて書いてきたのは、私なりに、忘れられない印象が残っているからです。


PR会社に努めていたとき、社内にも課長クラスの女性が何人かいたのですが、社外の方で、それぞれの道で「一流」と見られている女性の話を聞いたり、いっしょに仕事をする機会も少なくありませんでした。


そうした経験のなかで一つの大きなポイントは、「本当に一流の女性ほど、自分の専門領域に少しでも関連のある他の分野につき、専門家の話を聞きたがる」こと・・・。


あえていえば「モノ知り」志向が強いということでした。


たとえば、後に造形大学をつくったデザイナー・桑沢洋子は、あるとき次のように語っています。


「私の専門は服飾デザインだけど、服装は、インテリアと不可分だから、インテリアの勉強を始めた。


その次には、当然、建築そのものが気になってくる。


さらには、建築に大きな影響を与える都市計画の理論なんかまで、勉強したくなる」


・・・何人かが集まった打合わせ会が終わり、雑談になったところでの話でしたが、まことに鮮烈な印象でした。


・・・というのも、当時、PR誌の編集や、PRイベントの企画で協力をお願いする女性の多くが、陰に陽に「プロ意識」を誇示することに、いささかへきえきしていたからです。